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New iPadは画像鑑賞にも革命をもたらすか?

アップルからiPad2の後継機であるNew iPadが3月16日に発売されました。私は初代iPadを面白がって購入して以来、iPad2に乗り換えて、どんどんノートPCを使う機会が減りました。iPadの利点は静電式タッチパネルによる簡単操作、本体が小型軽量にもかかわらず大きな液晶ディスプレイ、ノートPCに比べると電池の持ちがいい、豊富なアプリが無料または低価格で手に入る、などいろいろあります。そして、使い方としてはWiFi環境の整備とともに、モバイルコンピューティングに使え、外出先でメールをチェックし、ブラウザで情報を検索し、そしてブログのアップロードもできます。さらに、仕事用としては、画像を読み込んで、プレゼンテーションに使うという大きな役割があります。これらの利点は私にとって、非常に大事なことであり、重宝してきました。

そして、今回のNew iPadですが、最大の特長は「Retina」と呼ばれる高解像度の液晶ディスプレイです。大きさは9.7型と従来と同じですが、従来(初代、二代目)の解像度が1024×768ドットだったに対し、2048×1536ドットと、タテに2倍、ヨコに2倍、合計4倍の高解像度を持っています。PCの液晶モニタの解像度でも2560×1440ドットですから、タブレット端末の中では文句なく最高解像度であるばかりでなく、PCモニタの最高解像度にほぼ匹敵するものです。SSDは16〜64GBと従来と同様ですが、プロセッサーは倍の周波数になり、メモリも倍増しました。ただ、消費電力が増えて、iPadの売りであった「長時間駆動」が7割ほどにに時間短縮されたのが残念な点です。

それでも、Retinaディスプレイによる高解像度は電子書籍を読むのがさらに楽になり、iBookのユーザーを増やし、また新聞や雑誌の電子版もますます普及するでしょう。対抗馬と言われていたAmazonのKindle Fireは大きく水を空けられることになりました。そして、写真にたずさわるものとして、高解像度のデジタル画像を鑑賞し、またプレゼンテーションに使えるということは非常に大きな進歩です。この点ではノートPCも敵わないわけで、たとえばMac Book Airなどはそのうちにモデルチェンジをしなければ、New iPadに負けてしまうことになります。

iPadシリーズのいちばん大きな弱点はキーボードでしょう。ソフトウエアキーボードに慣れるまでは、長文はなかなか打ち込むことができません。このため、ワイヤレスの外付けキーボードを使っているユーザーもかなりいますが、それならMac Book Airを使えばいいのであって、やはりソフトウエアキーボードに慣れるしかないと思います。

いずれにしても、New iPadはタブレット端末の革命であり、もしWindows 8を搭載したタブレット端末が出てきても、このように高解像度のディスプレイを搭載しないかぎり、New iPadの後塵を拝することになるでしょう。


なつかしのTV探偵・警察・スパイもの

 1960年代から1970年代にかけては、アメリカのTVドラマが大流行でした。ホームコメディー、西部劇、そして、本日のお題の「探偵・警察・スパイ」ものなど、文字通りTVにかじりついて見ました。その中で、記憶に残っているものをランダムにあげてみましょう。

 いちばん最初に見たこのジャンルのTV連続ドラマは「ハイウエイパトロール」で、なんとNHKで放送されていました。カリフォルニア州のハイウエイパトロール(CHP)をリアルに描いた作品で、主演は映画の名優ブロデリック・クロフォード(ダン隊長)。この時に、「テンフォー(10-4)」がアメリカの警察や軍での「了解」の意味だと知ったのです。1950年代から放映されていたようですが、私が見たのは1960年ごろだったと記憶しています。もちろん、白黒テレビでした。

 名優と言えば、リー・マーヴィン主演の「シカゴ特捜隊M」もありました。カウント・ベイシーのジャズテーマが流れる警察もので、「犯罪都市M]とか、「鬼刑事バリンジャー」としても、再放映されたようです。ストーリーはあまり覚えていないのですが、バリンジャー刑事がクルマを運転している冒頭のシーンが目に焼き付いています。その後、リー・マーヴィンはとんとん拍子に出世して、映画の悪役では5本の指に入る名優になりましたね。

 映画というよりTVで有名だったエフレム・ジンバリストJrが主演した警察ものが「FBIアメリカ連邦警察」でした。FBI捜査官アースキンを中心にFBIの活動を地道に描いた連続ドラマでした。エフレム・ジンバリストJrはその前に探偵ものの「サンセット77」(ロジャー・スミス、ジャクリーヌ・ピア、エド・バーンズ共演)というTVシリーズですでに有名でした。このサンセット77も「セブンティーセブン、サンセット・ストリップ」という軽快な主題歌が頭に残っています。

 のちに名優になるテリー・サバラス主演の刑事ドラマが「刑事コジャック」(1975年)ですね。ストーリーはかなり地味だったのですが、サバラスの存在感がすごく、この後、サバラスは映画の名脇役になりました。あと、有名なのはピーター・フォーク主演の「刑事コロンボ」(1968年)ですが、私はあまり好きではありません。

 青春警察ものという感じで人気のあったのが「刑事スタスキー&ハッチ」ですね。スタスキー(ポール=マイケル・グレーザー)とハッチ(デビッド・ソウル)という若い刑事のコンビを主人公にした、明るい(しかし、ハチャメチャな)警察ドラマでした。1975年から放映ですから、私はすでに編集者として働いていました。昔からガンマニアだった私ですので、スタさんのS&W M59とハッチのコルト・パイソンという組み合わせも良かったのです。

 同じような青春警察ものには1977年から始まった「白バイ野郎ジョン&パンチ」もありました。やはり、カリフォルニアのハイウエイパトロールの白バイ隊員を主人公にした、ハチャメチャな警察ものという記憶があります。原題は"CHiPs”(チップス)で、これはカリフォルニア・ハイウエイパトロールの俗語です。ただ、主演の二人はあまりよく覚えていません。彼らのバイクがハーレーかカワサキかで論争になったようですが、オートバイに興味のない私にはそれも記憶にありません。ただ、ガンマニアですので、彼らの拳銃がちゃんとS&Wの.357マグナムを使っていたのを覚えています。

 警察もので異色だったのは、ニューヨーク警察の秘密捜査員という設定のニック刑事(マイク・コナーズ)が活躍する「タイトロープ(秘密指令)」(1960年)でした。単身にギャングの組織に潜入するという、正統派ハードボイルド小説の流れを汲むようなストーリーで、タイトロープとは「綱渡り」のこと。身体検査をされても拳銃を発見されないように、腰の後ろのホルスターに隠している、というのがリアルでした。

 探偵事務所と言えば、さきほどの「サンセット77」もそうだったのですが、もっとコミカルなのがジーン・バリー主演の「バークにまかせろ」(1963年)で、探偵事務所の所長で、女性にモテモテという役でした。なお、ジーン・バリーはその前の西部劇「バット・マスターソン」で有名になったテレビ俳優です。

 派手な撃ち合いが売り物だった警察ものは「アンタッチャブル」(1959年)でしょう。禁酒法のあった1920年代のアメリカで、ギャングを取り締まる特別取り締まり官エリオット・ネス(ロバート・スタック)と部下たちの活躍を描いた連続ドラマでした。ネス隊長がトンプソン・サブマシンガンを持っているぐらいですから、部下たちも、そして敵方のギャングたちもトミーガンでバリバリ撃ち合います。そういう意味ではかなり史実とはちがい、映画の「アンタッチャブル」のほうが事実に近いようです。同じように1920年代のアメリカ禁酒法時代を描いた「ローリング20's」というテレビドラマもありました。

 探偵ものというか、特殊捜査官というか、あるいはFBIの防諜部隊のつもりなのか、特殊任務で悪漢たちを葬る主人公たちを描いたのが「スパイ大作戦(原題Mission Impossible)」(1966年)でした。いつも電話ボックスに録音機があり、影のボスから指令がリーダーに伝えられる冒頭のシーンが有名でした。「おはようフェルプス君」で始まり、「なお、このテープは自動的に消滅する」で終わり、いよいよドラマが始まり、ワクワクしたものでした。映画のリメイクのほうが有名になってしまいましたが。

 スパイというか、秘密捜査員というか、そういう設定で有名だったのは「0011ナポレオン・ソロ」(1964年)でしょう。まあ、007シリーズのパロディーというか、秘密組織の名前はUNCLEで、敵方はTHRUSHという設定でした。ナポレオン・ソロ(ロバート・ボーン)と相棒イリア・クリアキン(デビッド・マッカラム)が活躍して、敵方の繰り出す陰謀を粉砕していく、というストーリーでした。ボーンもマッカラムもこれをきっかけに映画にも出演するようになりました。なお、このドラマの映画版もありましたね。

 政府の秘密情報機関で活躍する主人公と言えば、リー・メジャース主演の「600万ドルの男」(1973年)もありました。元NASAの宇宙飛行士で訓練中に大けがをして、600万ドルかけてサイボーグとして蘇り、悪を倒すという設定です。そして、この姉妹編として作られたのがリンゼイ・ワグナー(俳優ロバート・ワグナーの妻)主演の「地上最強の美女バイオニック・ジェミー」(1976年)でした。これも主人公が600万ドルの男と同じようにサイボーグ手術を受けて、バイオニックパワーを発揮して、敵をやっつけるというものでした。

 女性が主演の探偵ものと言えば、なんと言っても「地上最強の美女たち!チャーリーズ・エンジェル」(1977年)でしょう。チャーリー探偵事務所に所属する女性探偵たちが大活躍をする、というストーリーで、見どころはもちろん美人の主人公達でした。大きく分けて、第一期と第二期に分かれて、第一期はファラ・フォーセット・メジャース(リー・メジャースの妻)、ジャクリーン・スミス、シェリル・ラッド(アラン・ラッドの息子の妻)、ケイト・ジャクソンで、ファラ・フォーセットはこれでブレイクしました。私はシェリル・ラッドが好きでしたが。第二期は4人とも変わり、いちばん有名になったのはタニア・ロバーツでしょう。これも映画でリメイクされましたね。

 そのほか、1980年代には、マイアミの風俗取り締まり刑事が活躍する「マイアミ・バイス」(1982年)、主人公が超音速ジェットヘリコプターを使う「超音速攻撃ヘリ エアーウルフ」(1986年)とか、特別仕様の車ナイト2000に主人公の探偵が乗る「ナイトライダー」(1982年)などもありました。

 

 



 

やっぱりiPhoneのほうが直感的に使いやすい

 私がスマートフォンを初めて買ったのは昨年春のiPhone 3GSで、いまだに使っています。iPhone 4Sには食指が動いたのですが、ちょっと出遅れたら、注文取り寄せになってしまいました。iOS5にアップデートしたら、4Sの利点はCPUが早いことと、内蔵デジタルカメラの性能が良くなった、というだけで、あとはあまり変わりません。といういわけで、iPhone 3GSのまま、iPhone 5?を待つつもりです。そして、家人がスマートフォンにしたいというので、従来の「ガラケー」(ガラパゴス携帯)から、Android auに乗り換えました。どうしてauかというと、ボディーカラーのピンクが気に入った、ということで、従来のdocomoと同じようなピンクが気に入ったとのことです。

 しかし、AndroidのスマートフォンもiPhoneと同じようだろう、と思っていた、私の認識は間違っていました。iPhoneのシンプルなGUI(グラフィカルユーザーインターフェース)に対して、Android auは複雑怪奇でした。家人はMacintosh使いなので、ほんとうはiPhoneにしたほうがいいと思うのですが、もう買ってしまったら、2年間の「縛り」があります。というわけで、機械音痴の家人はアプリひとつ入れることができないので、私がサポセン(サポートセンター)の係を仰せつかる(笑い)ことになったわけです。アプリのダウンロードは検索してすぐにわかりましたが、gmailアドレスが私のものになっていたので、Android auに関連付けがされていませんでした。そこで、新たにgmailアドレスを作って、Android au用にして、とりあえず、アンチウイルスソフトはノートPCでも使っているAVAST(AVG)にして、あとはカメラエフェクト、乗り換え案内をとりあえず入れました。

 ところが操作がタッチパネル画面だけではないんですね、Android auは。画面の外側にもタッチキーがあり、それも必要に応じて操作しなければなりません。ピンチイン・ピンチアウトはこの機種ではできないようです。かわりに拡大キーがありますが、画面内でぜんぶ行えるiPhoneのほうが直感的に使いやすいと感じました。やはり、PCでMacintosh OSXとWindows 7が違う以上に、GUIが違うことがわかりました。AndroidはLinuxをベースにしていて、Mac OSXのサブセットであるiOSとはまったく違います。私は異文化に遭遇したような感じを受けました。まあ、まだ購入してすぐですし、風邪をひいていて、本格的にAndroid auを使ったわけではないので、表面的な印象批評ですが、やはりGUIはアップルのほうが数段優れていると感じました。

 私のPCはWindows 7がメインで、Mac OSXは画像処理専門なのですが、両方を行き来しても、それほどの違和感はありません。iPhoneとAndroid auではまったく違うもののような感じがして、「文化の壁」はPC以上だというのが現在までの感想です。

■追記(2011年12月1日) auに続いて、NTT docomoが2012年からiPhone、iPadを扱うことになったようです。これで、アップルはグーグルと全面戦争に突入するようですね。私ももしdocomoが参入したら、Softbankから乗り換えようか、といまから算段しています。まあ、このニュースが本当だったらの話ですが。

リビアは第二のイラクになるのか、それとも・・・

ロイター通信の第一報で始まったリビアのカダフィ「大佐」の拘束ですが、CNNではマンホールの中に隠れていたカダフィ大佐の様子、拘束後の様子、そして射殺された後の映像まで放映されました。完全に本人かどうかは国民評議会が実施するDNA鑑定の結果次第ですが、おそらく99%本人でしょう。これで王政をクーデターで倒して以来、40年にわたる独裁恐怖政治を続けてきたカダフィ大佐が排除されたことになります。しかし、私は今後のリビアがイラク化しなければいいが、という懸念を持っています。

ご存知のように、イラクはサダム・フセイン大統領が独裁恐怖政治を行い、クルド民族を武力弾圧し、自国民も投獄や虐殺によって、支配をしてきました。しかし、クエートに侵攻して、国連決議による多国籍軍により、その力を削がれました(湾岸戦争)。そして、9.11航空機テロをきっかけに、アメリカはアルカイダのリーダーであるビン・ラディンを匿っているとしてアフガニスタンを、アルカイダなどイスラム系テロリストの根拠地として、さらに大量破壊兵器を保有しているとして、アメリカとイギリス軍がイラクに侵攻し、フセイン大統領を捉えて、処刑しました。しかし、独裁者を排除したことで、イスラム教の中でも、大統領派のスンニ派と、イランが後押しをするシーア派との間で、テロ合戦が始まりました。もちろん、アメリカ軍やイギリス軍もテロの標的になりました。こうしてイラク情勢は泥沼化して、収拾がつかなくなって、アメリカは戦闘部隊を引き揚げることを決定したのでした(イギリスはすでに撤兵)。

また、アフガニスタンでは、アメリカ軍および国連決議で結成されたISAF(国際緊急援助軍)がラバニ派(つい最近暗殺されましたが)を中心とした北部同盟を支持し、アルカイダと共同戦線を結んでいると見られるタリバーンと戦闘を開始しました。しかし、タリバーンの抵抗は頑強であり、さらに各地の部族もタリバーンに味方して、ここも泥沼化しました。アフガニスタンでは独裁者を排除したわけではありませんが、私はよけいな介入をしたと思っています。以前に書いたように、宗教戦争を引き起こしてしまったからで、これはイラクでもそうです。宗教がからむと、両者とも一神教ですから、絶対に相手を許しません。どちらかが引き揚げるか、降参するか、の選択しかありません。これはイスラム教徒征伐としてキリスト教国が派遣した十字軍と同じなのです。カトリックは十字軍や魔女裁判、そしてナチスへの加担など、過去の悪行から学んで、いまはきわめてリベラルです。むしろ、アメリカに多いプロテスタントのキリスト教原理主義がイスラム原理主義と世界中で闘争しているのです。

独裁者や独裁党はたしかに国民を弾圧し、恐怖政治を敷いて、自分たちが勝手気ままに政治を行っているわけですが、複雑な民族問題、宗教問題、そして部族問題などを抱える国家には、残念ながら「必要悪」としての独裁者なり、独裁政党が必要な場合もあるのです。強権的な支配によって、それらの諸問題を押さえ込むからです。多民族国家だったユーゴスラビアが独裁者チトー大統領の死去とともに、民族間あるは宗派間で対立が起きて、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を初め、何回も内戦が起きました。いまはいちおう落ち着いていますが、またいつなんどき紛争が起きるかわかりません。独裁者を排除すればそれですむのではなくて、その後まで完全に責任を持つか、ということでは欧米諸国はまだまだ無責任と言わざるを得ません。

フランスの前大統領のシラク氏はアメリカの介入を暗に批判して、「私には世界中に気にくわない独裁国が多数存在するのを知っているが、それを力で倒そうとは思わない」と発言しました。アフリカで植民政策をして現地民を弾圧し、またインドシナでも植民政策を進めてベトミンに敗北し、とりわけアルジェリア支配では、フランスの国論が二分してしまい、ドゴール大統領まで軍人中心のOAS(秘密軍事組織)に何度も暗殺されかかった経験を持つフランスならではの見識だと思います。そして、フランスはアフガンのISAFにも参加しなかったのです。

ですから、カダフィ大佐亡きリビアが西欧型とは言わないまでも、せめてトルコ型の民主主義になればいいのですが、これからはイスラム原理主義者、各地の部族指導者、極左などが入り乱れての権力闘争になるのではないか、と心配しています。そして、イスラム原理主義者が勝利し、イランと同盟を結ぶ、という最悪のシナリオが考えられるのです。

追悼 スティーブ・ジョブズ あなたはいつも時代の予言者だった

アップルの元CEOであるスティーブ・ジョブズが膵臓癌のため、10月5日に死去したことが今日明らかになりました。アップルのCEOを辞職して約2ヶ月、予期されていたとはいえ、あっという間の急展開でした。

スティーブ・ジョブズは学生時代、インドで瞑想にはまっていたぐらい、ある意味「夢見る人」でした。しかし、ゲーム会社のアタリでノーラン・ブッシュネルの部下として働いた時から、彼は時代の予言者としての能力を発揮し始めたのです。まず、学生時代の仲間である、コンピュータ・ハッカー(いい意味の)であるスティーブ・ウォズニアックが手作りで作ったマイコンである、Apple Iに注目しました。「二人のスティーブ」と呼ばれるジョブズとウォズが出会って最初に始めたのは、国際電話のただかけ装置である「ブルーボックス」でしたが、これは違法行為でした。そのウォズがApple Iをカリフォルニア州クパチーノで、ホームブルー(自家製)コンピュータ・クラブで仲間に譲っていたのを知ったジョブズは、コンピュータこそ、これからのビジネスである、とウォズを説得し、二人で売り歩くことになるのです。会社はウォズの実家のガレージに作り、資金はジョブズが愛車を売ることで、Apple Iを手作りするのです。その過程で知り合ったのが、ずっと年上のマイク・マークラで、彼がパトロンとなって、アップル・コンピュータの経営をすることになったのです。

そこでジョブズは、コンピュータマニアではなく、一般ユーザーにも売れるコンピュータを提案し、ウォズもその案に賛成をして、TVにつないで使うタイプライター型のパーソナル・コンピュータであるApple IIを設計しました。そして、Apple IIは1977年にカリフォルニアで開かれたWCCF(ウエストコースト・コンピュータ・フェア)に展示され、大きな反響を呼びました。WCCFにはコモドールPETやTRS2000などのパソコンもデビューし、いよいよパソコン時代の幕が開けたのでした。ちなみに、後にライバルとなるビル・ゲイツは1975年にニューメキシコ州アルバカーキのMITS社に間借りする形で、親友ポール・アレンとマイクロソフト(当時はMicroSoft)を設立しています。BASICというプログラム言語をMITS社のマイコン・キット上で動作するように改良したのがマイクロソフト創立のきっかけになっています。

さて、Apple IIはVisiCalc(ビジカルク)という表計算ソフトのおかげで、ビジネスマンに使われるようになり、大ヒットしたのです。このようにベストセラーになった応用ソフトを「キラー・アプリ」と言いますが、これによって、アップル・コンピュータは大きく成長し、パーソナル・コンピュータ業界の覇者になりました。そして、なによりもコンピュータと音楽が好きだった「魔法使いウォズ」はApple IIのつぎの機種、Apple IIIを出しましたが、これは初期不良などもあって、あまり売れませんでした。そこで、ジョブズはゼロックスのパロ・アルト研究所(PARC)を見学させてもらい、そこでグラフィカルなインターフェースを持ち、キーボードだけでなくマウスでも操作する、未来のコンピュータの試作品Altoを見せてもらい、天啓を得たのです。これこそ、パーソナル・コンピュータのあるべき姿だ、との信念のもとに、娘の名前をとったLisa(リサ)を開発させるのです。このコンピュータは大きな話題にはなったのですが、あまりに高価すぎました。まったくと言っていいほど売れなかったのです。

そこでジョブズはアップル・コンピュータで独自の小さなパーソナル・コンピュータを開発していたジェフ・ラスキンの「マッキントッシュ」計画を横取りして、換骨奪胎して、Lisaの機能限定版である小型のパソコン、Macintoshを企画するリーダーになりました。ウォズはAppleのときから、コンピュータはオープン規格であるべきとの信念を持っていたため、ジョブズと衝突し、Macintosh計画には入れてもらえず、のちにアップルを去ることになるのです。ウォズのかわりに、アンディー・ハーツフェルドやビル・アトキンソンという「ソフトウエア・ウィザード」たちが基本ソフトであるMac OSやアプリを書いて、1984年に最初のMacintoshが生まれました。このMacintoshは漢字を扱うことができなかったので、キヤノンが日本総代理店になり、漢字を表示できるようにして、販売しました。Macintoshの標語は「computer for the rest of us」、つまり「落ちこぼれのためのコンピュータ」というブラックジョークでした。

Macintosh、とりわけSE30はマイクロソフト社が開発した表計算ソフトであるExcelを搭載したため、大ヒットとなり、日本でもユーザーが増えていきました。しかし、当時のMacintoshはきわめて高価であり、日本では医者か弁護士か、あるいはよほどの金持ちでないと買えないパーソナル・コンピュータでした。これに対して、マイクロソフトに基本ソフト(OS)を依頼したり、ぜんぶ外部委託で作り上げた巨人IBMのThe PCは価格も安く、またキーボード操作であったために、タイプライターに慣れたアメリカではおおいにヒットしました。これに対して、アップル・コンピュータは「ようこそIBM、パーソナル・コンピュータの世界へ」という皮肉の新聞広告を出したり、フットボールの試合に流すCMで、IBMをジョージ・オーウェルの「1984」のビッグ・ブラザーにたとえて、それを救世主の女性がたたきつぶす、というような挑戦的な姿勢を見せました。

アップルがジョブズの意向によって、クローズシステムだったため、Apple IIの手法であるオープン・システムをしっかり研究してきたIBMは、いわゆるサード・パーティーがどんどん参入してきて、ますます売れることになりました。とりわけ、ミッチ・ケイパーの開発した表計算ソフトであるLotus 1-2-3はIBMのハードウエア(Intelのプロセッサ)に直接アクセスする設計になっていたので、高速で、しかも高機能であり、IBMのキラー・アプリとなったのです。

劣勢に立ったジョブズ社長率いるアップル・コンピュータはペプシ・コーラの社長であるジョン・スカリーを雇って、経営の立て直しを図りました。スカリーは業績を上げたのですが、ジョブズと衝突し、役員会でジョブズは解任されてしまいました。自分がスカウトしたスカリーに首にされたわけですが、ジョブズはめげませんでした。しばらくアップル・コンピュータで「島流し」にあった後、退社して、NeXT Computerという会社を設立するのです。これはパーソナル・コンピュータよりも上位機種であるワークステーション(WS)を作る会社で、OSにはUNIXをアレンジしたものを採用しました。NeXTのコンピュータは評価されたのですが、高価だったため、Lisaの二の舞を踏んでしまったのです。しかし、ジョブズはアニメのPixarのCEOとしても大活躍をしたのでした。

一方、アップル・コンピュータはどんどん経営難になり、社長がつぎつぎと交代して、一時はオープン・システムをとったこともありました。しかし、時すでに遅く、起死回生の策として、ジョブズを呼び戻すことにしたのです。アップルに戻ったジョブズは持ち前の企画力をすぐに発揮して、iMacを開発させ、ベストセラーになりました。また、iPodという新しい音楽ツールも開発させて、それがiPhone、iPadとつながって行くのです。メインのパーソナル・コンピュータはNeXTのOSであるNeXtStepを発展させたMac OSXが搭載されることになりました。そして、Mac BookとかMac Book Pro、Mac Bokk Airとアップルはつぎつぎにヒットを飛ばすのです。

ジョブズは癌の診断をされてからも、自分の夢を果たすべく、つねにアップルの顔として、新製品のプレゼンテーションに顔を見せました。それはジョブズがカリスマであり、ジョブズがとてつもないことを考えてくれる、という期待があったからです。スティーブ・ジョブズは夢に生き、夢を実現し、そして人生を全うしたのです。

馬鹿は死んでも治らない(自嘲です)

私はほんとうにいい歳をこいて、馬鹿で、死ぬまで青臭く、世間からは「坊ちゃん気質」の痴れ者と言われているでしょう。もちろん自嘲なのですが、ほんとうに事実で、「三つ子の魂百まで」なのでして、苦労知らずのオタンコナスなのです。なんだか、極度のマゾと思われるか、自意識過剰と言われるか、まあどうでもいいのですが、ほんとうに私のような人間は環境によって変わるものと同時に、本人の自覚が足りないのが原因なのでしょう。というわけで、私はどうして馬鹿に育ったのか、その顛末の一部をご披露します。

生まれは1944年(昭和19年)神戸ですが、空襲のために、父親の故郷である鳥取に疎開していたらしいのです(記憶はないのですが)。父親はまったく愚直な人間で、感情をすぐ顔に出す、じつにわかりやすい人でした。しかし、学歴がないため、よぶんなことはまったく言わず、ひたすら我慢を続けた結果、ある生命保険会社の重役まで登りつめました。週刊誌の記事になったぐらい、堅物で、真面目一方で、ただし部下には厳しくて優しく、毎晩自腹で部下たちを自宅に呼んで宴会をしていました。それを陰で支えたのが母親で、もともと良家の娘だったため、非常に苦労をしたようです。

たまたま長男だったためと、父親の学歴コンプレックスがあったため、過剰な期待をかけられ、「東大一直線」になれと父親のスパルタ教育を受けて、なんとか私立武蔵中学に入学しました。しかし、中学生は反抗期であるのと、その私立中学高校が昔の雰囲気を残した自由な学校であったため、私は入学したとたん勉強をしなくなりました。部活動(地学部)ばかりしていて、ちょい悪の高校の先輩から酒やタバコやジャズ喫茶を教えられたわけです。また、教師もユニークな人たちばかりで、某高名哲学者の息子W先生は完全な右翼でしたが軟弱きわまりなく、われわれは「ちゃん」づけで呼んでいました。体育担当のS先生は「支那戦線」での活躍ばかり話し、教室に日本刀や手裏剣を持ち込んで、自慢していました。社会担当のA先生はこの右翼的な雰囲気の中で、内緒で教材に「共産党宣言」を使うという反骨ぶりでした。制服はないし、男子校だから、まあ昔の「バンカラ」を気取っていたわけです。

勉強をしないからとうぜん成績は落ち、とくに数学が長期病欠のせいもあって、ついていけなくなり、落第をしました。いったん、そうなると、ますます勉強をしなくて、部活動にのめり込んで行ったわけです。しかし、大学受験が迫り、父親に一喝されたため、一生懸命英語を勉強して、東京外大を受験したが、数学が白紙提出に終わり、二次志望の上智大学外国部学部へ行くことになりました。ここもカトリック教団(イエズス会)の経営なのに、自由な雰囲気で、おまけにきれいな女子大生がたくさんいました。私は今度は演劇(英語劇)にはまってしまい、またまた勉強をせずに、女学生たちといっしょに大学対抗の劇などで裏方をやったりしていました。その仲間にはのちに劇団「雲」の女優になり、NHKドラマに出演した女子学生もいたぐらい、みんな演劇論をかわしたり、ボイストレーニングをしたり、まあ勉強はあまりしなかったのです。

就職シーズンになり、私は専門コースとして、国際関係論(国際政治学)を専攻していたので、新聞社を志望しました。当時、私はノンポリの「非武装中立論」だったので、自然に社会党に投票をしていました。毎日新聞には支持政党社会党で受かったのですが、二次志望の産経新聞とはどういう新聞だが勉強不足で、最終面接で、水野成夫社長に支持政党を正直に言ったら、「キミはここをどこだと思ってるんだ!」と一喝されて、落ちてしまいました。いま考えると、我ながら笑いがこみ上げてきます。まあ、産経に運良く入れていたら、私はいまごろバリバリの極右翼になっていたかも知れません(笑い)。毎日新聞では英文毎日編集部に配属され、写真に目覚めたのと、学生の編集補助員(いわゆる、ボーヤ)たちと麻雀に明け暮れていたのは、前に書いたかも知れません。ともかく、こういう、よく言えば自由、悪く言えばじつにいい加減な環境で育ってきたので、まあ典型的な馬鹿が出来上がったのです。いや、環境のせいばかりしてはいけませんね。なによりも本人がふわふわと適当な半生を送ってきた結果なのですから。

オウム真理教と新左翼運動の共通点と相違点

 いまさらの観があるのですが、1995年に実態が明らかになったオウム真理教と、1960年代後半から1970年代前半まで盛んだった新左翼運動と、両方を比較して、共通点と相違点を探ってみようと思います。それは、自身が関わった1年あまりの新左翼運動の私なりの結論を考えたいからでもあるからです。

 オウム真理教は阿含宗という密教から、さらにチベット密教、そしてすべての宗教を包括するような教義を生み出し、教祖麻原彰晃(松本智津夫)の神格化、そして武力による国家の転覆、オウム真理教王国の建設とエスカレートして行きました。その過程での宗教的狂信は地域の反対運動指導者、弁護士、ジャーナリスト、そして内部の信者同士にも向けられるようになり、いわゆる「ポア」ということで殺人、殺人未遂を数々行って行きました。とくに、坂本弁護士一家惨殺事件、松本サリン事件、そして地下鉄サリン事件は世の中を震撼させる凶悪事件でした。

 新左翼運動は日本共産党内反対派から生まれました。マルクス・レーニン主義の教義に忠実であろうとする新左翼は、ある意味でローマ教会(カトリック)に反対したプロテスタント各派と似ているかも知れません。そして、1960年の日米安保条約反対闘争で、新左翼は「共産主義者同盟(「ブント」)として、日共と対立しつつ、大衆運動を成功させましたが、条約通過とともに運動は下火になり、ブントは四分五裂していきました。マルクス・レーニン主義という「思想」は宗教的色彩を帯びてはいましたが、新左翼のリーダーたちは自らを神格化することなく、冷静に理論と実践(大衆運動)を考えていったのです。そういう意味ではオウム真理教とはまったくちがう、という反論があって当然のことでしょう。そして、この60年安保闘争では右翼の殴り込みに対する実力行使はありましたが、武装して権力を奪取するという考えはまだ芽生えていなかったのです。

 しかし、60年代にもともと日共党内反対派が結成した革命的共産主義者同盟(革共同)にブントの残党が入ることで、思想的にはとりわけレーニンの武装革命論へと傾斜して行ったのでした。この革共同はやがて中核派と革マル派に分裂し、おたがいの「教義」の正当性を争うようになり、そこに「内ゲバ」、つまりセクト同士での武力行使が始まるようになったのです。ブントも関西ブントとブント関東派に別れ、とくに関西ブントを中心として、武力革命への傾斜が高まりました。関東のブントもML派として、だんだんと毛沢東主義に接近していき、「鉄砲から政権が生まれる」(毛沢東語録)という武闘路線をとるようになりました。いっぽう、社会党左派はローザ・ルクセンブルグ(旧ドイツ共産党のリーダーのひとり)に依拠する社青同解放派となり、新左翼の一翼を担うようになったのでした。ほかには、グラムシ(旧イタリア共産党の理論的指導者)に依る構造改革派(フロント)とか、レオン・トロツキーや帝政ロシアのアナキスト、あるいはブランキなどに依拠するアナキストの第4インターなどが出てきました。とくに、べ平連が始めたベトナム反戦運動に新左翼が加わり、成田空港闘争、佐世保闘争、新宿騒乱事件、そして日大闘争や東大闘争を経て、過激化して行ったのです。

 そして、武装闘争による権力奪取は関西ブントから生まれた赤軍派でした。ブントの「前段階武装蜂起→世界同時革命」から、赤軍派は「世界革命戦争」を提唱し、一気に武装路線に走りました。ML派もそれまでの竹ざお、鉄パイプ、火焔瓶から、1970年6.21闘争では豊浦政治局員が爆弾を所持して逮捕されるなどエスカレートしましたが、この6.21事件でML派は玉砕してしまうのです。赤軍派は着々と武装化への道を歩み、大菩薩峠での武装訓練事件、レーニンにならった「M作戦」(銀行襲撃事件)などを起こし、ついに「世界革命根拠地」作りのために、田宮高麿らは日航機ハイジャック事件で北朝鮮に渡り、重信房子らはパレスチナに渡って、PFLPと共同作戦をとって、「ロッド空港虐殺事件」などを起こし、さらにダッカ事件なども起こすのです。いっぽう、赤軍派の森恒夫らは京浜安保共闘の永田洋子らと、連合赤軍を結成し、銃強奪事件から、リンチ殺人事件、そして「あさま山荘事件」で終末を迎えるのです。

 オウム真理教が以上の新左翼運動とちがうのは、最初から大衆運動をリードするというつもりはまったくなく、自分たちだけの集団(信者)の結束をより高めるために、リンチ殺人をしたり、外部の敵に対する攻撃に終始したということでしょう。しかし、ロシアなどで信者を増やすなど、国際的な活動をして、ロシアからはヘリコプターや軍用突撃銃などを持ち込んでいました。そして、なによりも危険なのはNBC(核生物化学兵器)を研究し、化学兵器ではサリンやVXなどの軍用毒ガスを開発し、それを松本と東京の地下鉄で使用したことです。また、ジャーナリストの江川紹子さんや反対運動のリーダーなどにも毒ガスを使用しています。そして、持ち込んだ突撃銃(AK74)を大量生産するための工場も造っていました。新左翼はそこまで軍事的に純化されなかった点が大きく違うと思います。

 しかし、「宗教的狂信」と「政治的熱狂」とは紙一重であり、オウム真理教の教義が間違っていたのと同じぐらいに、マルクスレーニン主義(および毛沢東主義、北朝鮮の主体思想)は間違っていたのです。1970年以来の新左翼の敗北は「軍事的敗北」ではなく、「思想的敗北」であった、と私は自分自身を総括しています。日本では「思想に殉じる」というような美学がありますが、間違いはきっちり間違いとして検証して行く過程で、思想的に「転向」するのは私は間違いだと思ってはいません。重信房子が逮捕され、豊浦清ML派政治局員が死亡し、永田洋子が獄中死し、そして丸岡修も最近獄中死しました。完全にひとつの時代が終わったいま、とくに新左翼として活動した団塊の世代の諸兄は、単に「ネット左翼」あるいは「ネット右翼」をやっているのではなく、きちんと自分の思想的な総括をすべき時期に来ていると思います。

 

ビンラーディンの暗殺はイスラム・テロを終わらせるか?

 2001年に3,000人以上の犠牲者を出した9.11同時多発テロの首謀者と言われるウサマ(オサマ)・ビンラーディン(国際テロ組織アルカイダの指導者)がアメリカ軍特殊部隊(海軍のSEALsと言われています)により射殺された、と伝えられます。バラク・オバマ大統領は特別声明を出し、テロ戦争での勝利を宣言しました。また、一般アメリカ市民は国旗を振って、喜びに湧いているようです。日本的な一般感情としては、「裁判もしないで殺すのは暗殺ではないのか」という声もありますね。しかし、これはテロリストとの「戦争」なのですから、襲撃して殺してしまうのは当たり前、というのがアメリカ人の考え方です。それは、「リメンバー・パールハーバー」とまったく同じです。「真珠湾でだまし討ちされたのだから、その報復をする」ということで、まずアメリカ軍の合い言葉になったのが、「ゲット・ヤマモト」、つまり真珠湾攻撃の指導者山本五十六提督を殺せ、ということです。そして、山本提督が視察に出かけたのを暗号解読で知り、ブーゲンビル上空で戦闘機を待機させ、目論見どおりに山本長官の乗機を撃墜し、暗殺したのです。ビンラーディンの暗殺もまったく同じ発想で行われたもので、アメリカ政府はとうぜんの行為だと思っていますし、一般市民も9.11の報復として当たり前だと思っています。

 ただ、ビンラーディンをゲットしたからと言って、イスラム過激派によるテロはなくなるでしょうか。これを機にふたたび全世界でテロが起きる可能性のほうが高いのではないでしょうか。9.11の翌年、バリ島で爆弾テロが起き、多数が死亡しました。そして、マドリード(アトーチャ駅)、ロンドン地下鉄と爆弾テロは続きました。しかし、このところは一般市民を巻き込むテロはイラクやアフガニスタンなどの戦地に限られているようです。アメリカではテロ未遂事件がそうとうありましたが、すべて当局が押さえ込んでいます。しかし、今後はふたたび9.11の悪夢が再現しないとは限らないのです。イスラム過激派テロ組織はビンラーディンという指導者を失ったわけですが、もともと一連のテロ事件はビンラーディンの指令のもとに、アルカーイダが起こしたものではありません。アルカーイダと連携する各地のイスラム過激派が起こしたものと見られています。つまり、アルカーイダの指導者を抹殺しても、ほかの組織にはそれぞれのリーダーがいます。また、ビンラーディンにつぐアイマン・ザワヒリ(あのルクソール観光客大量殺戮事件を起こしたリーダー)がいますし、アメリカを初め、各国の警察および諜報当局に知られていないテロリストは多数存在するものと思われます。

 根本的な解決は力で押さえ込むことではないような気がします。前にも書きましたが、イラクでもアフガニスタンでも、イスラム教徒とキリスト教徒の「宗教戦争」の側面が顕著です。とくに、イスラム側は、異教徒であるアメリカ軍やイギリス軍などが、自分たちの聖地にいるのを許すことができないのです。ソ連がアフガニスタンに侵攻したときも、「無神論者の共産主義者」に対する聖戦(ジハード)ということで、イスラム教徒がムジャヒディンとなって抵抗したのです。その中にビンラーディンもいて、アメリカの軍事援助も受けています。ところが、湾岸戦争が起き、アメリカ軍がサウジアラビアに長期駐留したために、ビンラーディンは聖地を汚された、として反米主義者になり、世界貿易ビルセンター爆破事件などを起こし、9.11に至るのです。そして、アメリカ側もイラク戦争のときに、大統領ジョージ・W・ブッシュが「十字軍」発言をして、本音を吐露してしまいました。この発言は撤回されましたが、やはり宗教戦争である側面が垣間見られたのでした。

 ですから、イラク戦争にしろ、アフガニスタン戦争にしろ、これは宗教戦争であり、イスラム原理主義者と、キリスト原理主義者の闘い、と言ってもいいのです。これを終息に向かわせるには、やはりイラクやアフガンからのアメリカ軍撤兵がいちばんであり、オバマ大統領はイラクから戦闘部隊を引き揚げ、アフガンからも順次、兵力を削減して行く方針です。この方針が正しいのは、泥沼化する宗教戦争から抜け出して、テロリストに口実を与えないこと、そして台頭する中国の軍事力に対して、アメリカのいちばん得意な分野である空母打撃群による抑止にウエートを移すことが必要だと思っています。アメリカはもともと海洋国家であり、陸上戦は苦手であり、その苦手な陸上戦を第二次世界大戦後も、朝鮮戦争、ベトナム戦闘と続けてきて、湾岸戦争を経て、現在はイラク、アフガニスタンに戦場が移っています。アメリカの軍事力は世界一ですが、ベトナム戦争で泥沼のゲリラ戦に引きずり混まれ、撤退を余儀なくされました。ベトナムと同じ轍を踏まないためには、早急にアフガニスタンからも撤兵すべきでしょう。そして、アメリカにとって生命線である太平洋戦略を見直すのが正しい選択だと思います。

ハードボイルド小説や映画が好きなのだ、そうなのだ

もう、「ハードボイルド」というのは一部のファン以外には死語になっているかも知れません。タフな主人公(たいていは探偵という設定)で、単身敵に立ち向かうのいうのが共通した流れです。「ハードボイルド」とは卵などをカチンカチンに茹で上げた状態のこと。中身まで硬派という意味で、半熟のように中身がやわではない、という意味なのです。

ハードボイルド小説の草分けはダシール・ハメットでしょう。コンチネンタル・オプという名無しの探偵を主人公とした一連の小説を書いています。デビュー作「血の収穫」では、コンチネンタル・オプは対立するギャングのグループをうまく利用して、両方を壊滅させてしまうのです。そして、ハメットの代表作と言えるのは「マルタの鷹」で、ハンフリー・ボガート主演で映画化もされました。

そして、ハードボイルド小説の帝王と言えるのが、レイモンド・チャンドラーで、一連のベストセラーの主人公フィリップ・マーロウを生み出しました。デビュー作は「大いなる眠り(The Big Sleep)」で、ハンフリー・ボガート主演で映画も作られました。この映画にはのちに結婚するローレン・バコールも共演しています。日本では「三つ数えろ」という題名で公開されました。その後、「さらば愛しき女よ」、「長いお別れ(ロング・グッバイ)」、「プレイバック」などすべて、フィリップ・マーロウが主人公です。中でも有名な台詞は「タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」でしょう。これは生島治郎訳を少しアレンジしたもので、日本のアクション映画でも使われました。

ハメットやチャンドラーの後継者と言われるのがロス・マクドナルドで、主人公リュー・アーチャーが登場する「動く標的」で有名になりました。なお、この小説はポール・ニューマン主演で映画化されています。また、ミッキー・スピレーンのマイク・ハマーのシリーズも「裁くのは俺だ」以来、ハードボイルドのひとつの流れを作ります。つまり、銃の名手とともに、女性にもてるという探偵で、暴力的な描写が話題になりました。映画化もされましたが、私の記憶に残っているのはTVドラマシリーズです。いずれにしても、高校生のときにはマイク・ハマーにあこがれて、隠れてフォア・ローゼズを飲んだりしたのでした。

このミッキー・スピレーンの直接の影響を受けたと思われるのが大藪春彦でしょう。大藪はさらに大胆な性描写と、銃器に関する豊富な知識で、多くのファンを得ました。とくに、伊達邦彦が主人公となるシリーズは銃そのもののタイトル(たとえば、ルガーP08とかワルサーP38)になっていて、高校生の私をガンマニアの泥沼(笑い)に引きずり込んだのでした。ただ、文章はどうしようもなく下手で、ほんとうに小説家なの?と思ったこともありました。

その後も、ロバート・B・パーカーやビル・ブロンジーニなどの探偵ものが続きましたが、私はそれほどファンにはなりませんでした。私がかなりはまり込んだのはハードボイルドには分類されていませんが、ギャビン・ライアルです。とくに、「深夜プラス1」はハードボイルド小説そのものと言っていいでしょう。元パイロットであるライアルが本領を発揮したのはデビュー作「ちがった空」と、「本番台本」です。とくに、「本番台本」はジョン・ウエインをモデルにした人物が出てきたり、デ・ハビランド・ヴァンパイア戦闘機が出てきたり、と娯楽性満点です。

そして、ハードボイルド小説に大きな影響を受けたのがイアン・フレミングで、007シリーズはあまりにも有名ですが、あの荒唐無稽ぶりはスパイものというより、ミッキー・スピレーンやドナルド・ハミルトン(「サイレンサー」シリーズのマット・ヘルム)の影響のほうが大きいのではないでしょうか。

最後に、ハードボイルドファン、アクションものファンにちょっと面白いブログを紹介します。知人が書いているもので、http://aieichi.blog.ocn.ne.jp/です。ご興味のある方はご覧になってください。

東日本大震災救援のアメリカ軍「トモダチ作戦」遂行中

アメリカ軍、つまり海軍、海兵隊、空軍、そして陸軍の4軍種は3/11の東日本大震災の翌日から、活動を開始しました。作戦名「オペレーション・トモダチ」、4軍種合計で18,000人の部隊が統合軍として、救出および原発事故対策にあたっています。作戦司令部は横田基地で、沖縄から三沢まで在日米軍基地が前線基地として使用されています。アメリカ海軍は最新鋭の原子力空母「ロナルド・レーガン」(CVN-76)を含む10隻の空母打撃群を派遣し、東北地方の近海に展開し、偵察機を飛ばし、空母や強襲揚陸艦からはヘリコプターを飛ばして、被災者の救護にあたりました。海上自衛隊もアメリカ軍と緊密な共同作業をして、ヘリ救助にあたりましたが、そのプラットフォームとなったのは、空母ロナルド・レーガンや強襲揚陸艦でした。

海兵隊は「緊急展開部隊」の強みを十分に発揮し、3/12から強襲揚陸艦「エセックス」などで沖縄から発進し、被災者の救援に当たるとともに、がれきの撤去などの作業を担当しています。アメリカ空軍は本土から大型輸送機C-17を飛ばして、救援物資と陸軍部隊の輸送に活躍しました。アメリカ陸軍は本土から第1軍団を派遣しています。そして、被災者の救護、がれきの撤去、行方不明者の捜索はおもに陸上自衛隊が担当することになりました。アメリカ軍は4/6に本土からNBC(核生物化学兵器)防護の特殊部隊CBIRFを派遣して、陸上自衛隊の特殊武器防護部隊とともに、福島第一原発事故の対応にあたっています。

もちろん、自衛隊も陸海空あわせて10万人規模の兵力を投入して、おもに行方不明者の捜索とがれきの撤去にあたっています。初期段階では海自の救難ヘリコプターが大活躍しました。そして、いまは警察機動隊も動員されて、おもに福島県の行方不明者捜索に従事しています。自衛隊は救護活動の中で、ふたりの犠牲者を出しています。また、アメリカ軍海兵隊も被爆をしながらの作業に従事しています。福島原発では東京都消防庁ハイパーレスキュー隊が決死の注水作業を行いました。しかし、こういう大災害には結局は軍隊が必要なのです。命令系統がはっきりしていて、しかも機材もいろいろなものを持っています。原発のがれき撤去にはNBC防護能力を持った陸上自衛隊の七四式主力戦車(MBT)も投入されました。通常の撤去車ではNBC防護になっていないので、密閉性の高い戦車が必要になるわけです。

アメリカ軍の素早い行動はもちろんアメリカの政治意図を反映したもので、日米関係をさらに緊密化させて、中国やロシア、そして北朝鮮の脅威に立ち向かう意思を表明したものです。簡単に平和を語り、軍隊の撤廃を唱え、在日米軍の撤退などを語る人々がいますが、この大震災で、自衛隊やアメリカ軍がいなければ、被災はさらに悲惨なものになっていたでしょう。軍隊なき世界は理想ですが、現実社会では軍隊が必要なのです。

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