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[C82] うなされる

重いテーマですね。私は本年67歳、会社を辞めてしばらくたちますが、自分の人生をふりかえり過去の愚行に、たびたびうなされてます。現在の自分の行為だって、たぶん間違ってるだろうし、すぐ先のわが身のことも、どうすれば正解か判断がつかずにいます。まもなく時間がすべてをのみこみ、私のおろかな人生行路も終わりを告げます。

[C83] 同い年ですね

私も1944年生まれで、もう少しで67歳です。私は馬鹿なもんですから、あまり過去の愚行を気にしないことにしています。とは、いいつつ、いろいろな十字架を背負っていることは事実で、人間いろいろ、人生いろいろ、ですね。

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馬鹿は死んでも治らない(自嘲です)

私はほんとうにいい歳をこいて、馬鹿で、死ぬまで青臭く、世間からは「坊ちゃん気質」の痴れ者と言われているでしょう。もちろん自嘲なのですが、ほんとうに事実で、「三つ子の魂百まで」なのでして、苦労知らずのオタンコナスなのです。なんだか、極度のマゾと思われるか、自意識過剰と言われるか、まあどうでもいいのですが、ほんとうに私のような人間は環境によって変わるものと同時に、本人の自覚が足りないのが原因なのでしょう。というわけで、私はどうして馬鹿に育ったのか、その顛末の一部をご披露します。

生まれは1944年(昭和19年)神戸ですが、空襲のために、父親の故郷である鳥取に疎開していたらしいのです(記憶はないのですが)。父親はまったく愚直な人間で、感情をすぐ顔に出す、じつにわかりやすい人でした。しかし、学歴がないため、よぶんなことはまったく言わず、ひたすら我慢を続けた結果、ある生命保険会社の重役まで登りつめました。週刊誌の記事になったぐらい、堅物で、真面目一方で、ただし部下には厳しくて優しく、毎晩自腹で部下たちを自宅に呼んで宴会をしていました。それを陰で支えたのが母親で、もともと良家の娘だったため、非常に苦労をしたようです。

たまたま長男だったためと、父親の学歴コンプレックスがあったため、過剰な期待をかけられ、「東大一直線」になれと父親のスパルタ教育を受けて、なんとか私立武蔵中学に入学しました。しかし、中学生は反抗期であるのと、その私立中学高校が昔の雰囲気を残した自由な学校であったため、私は入学したとたん勉強をしなくなりました。部活動(地学部)ばかりしていて、ちょい悪の高校の先輩から酒やタバコやジャズ喫茶を教えられたわけです。また、教師もユニークな人たちばかりで、某高名哲学者の息子W先生は完全な右翼でしたが軟弱きわまりなく、われわれは「ちゃん」づけで呼んでいました。体育担当のS先生は「支那戦線」での活躍ばかり話し、教室に日本刀や手裏剣を持ち込んで、自慢していました。社会担当のA先生はこの右翼的な雰囲気の中で、内緒で教材に「共産党宣言」を使うという反骨ぶりでした。制服はないし、男子校だから、まあ昔の「バンカラ」を気取っていたわけです。

勉強をしないからとうぜん成績は落ち、とくに数学が長期病欠のせいもあって、ついていけなくなり、落第をしました。いったん、そうなると、ますます勉強をしなくて、部活動にのめり込んで行ったわけです。しかし、大学受験が迫り、父親に一喝されたため、一生懸命英語を勉強して、東京外大を受験したが、数学が白紙提出に終わり、二次志望の上智大学外国部学部へ行くことになりました。ここもカトリック教団(イエズス会)の経営なのに、自由な雰囲気で、おまけにきれいな女子大生がたくさんいました。私は今度は演劇(英語劇)にはまってしまい、またまた勉強をせずに、女学生たちといっしょに大学対抗の劇などで裏方をやったりしていました。その仲間にはのちに劇団「雲」の女優になり、NHKドラマに出演した女子学生もいたぐらい、みんな演劇論をかわしたり、ボイストレーニングをしたり、まあ勉強はあまりしなかったのです。

就職シーズンになり、私は専門コースとして、国際関係論(国際政治学)を専攻していたので、新聞社を志望しました。当時、私はノンポリの「非武装中立論」だったので、自然に社会党に投票をしていました。毎日新聞には支持政党社会党で受かったのですが、二次志望の産経新聞とはどういう新聞だが勉強不足で、最終面接で、水野成夫社長に支持政党を正直に言ったら、「キミはここをどこだと思ってるんだ!」と一喝されて、落ちてしまいました。いま考えると、我ながら笑いがこみ上げてきます。まあ、産経に運良く入れていたら、私はいまごろバリバリの極右翼になっていたかも知れません(笑い)。毎日新聞では英文毎日編集部に配属され、写真に目覚めたのと、学生の編集補助員(いわゆる、ボーヤ)たちと麻雀に明け暮れていたのは、前に書いたかも知れません。ともかく、こういう、よく言えば自由、悪く言えばじつにいい加減な環境で育ってきたので、まあ典型的な馬鹿が出来上がったのです。いや、環境のせいばかりしてはいけませんね。なによりも本人がふわふわと適当な半生を送ってきた結果なのですから。
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重いテーマですね。私は本年67歳、会社を辞めてしばらくたちますが、自分の人生をふりかえり過去の愚行に、たびたびうなされてます。現在の自分の行為だって、たぶん間違ってるだろうし、すぐ先のわが身のことも、どうすれば正解か判断がつかずにいます。まもなく時間がすべてをのみこみ、私のおろかな人生行路も終わりを告げます。

[C83] 同い年ですね

私も1944年生まれで、もう少しで67歳です。私は馬鹿なもんですから、あまり過去の愚行を気にしないことにしています。とは、いいつつ、いろいろな十字架を背負っていることは事実で、人間いろいろ、人生いろいろ、ですね。

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那和秀峻の気まぐれブログへようこそ。エッセイと呼べるほどのものはない駄文、つまり似非を綴っていきます。気が向いたらごらん下さい。

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