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[C84]

9月9日というのは誤報ですよ 
http://www.ichikarablog.com/message/communication/5471.html

[C85] ありがとうございました

10/5でしたか。早速、訂正します。ご教示ありがとうございました。

[C86] Apple Computer の行方

Steve Jobs 氏の死によりApple Computer の行方について多々論議されてる。私たち写真に関心のあるものたちにはApple Computerのファンが多い。Steve Jobs 氏の業績はiMac, iPodなど普及品の面で大きいし、われわれに関係のある部分については彼のそうした手腕と関係なく実績をつんできていると思うので心配ないと思うが…。

[C87] Re:Apple Computer の行方

そうですね、ジョブズが亡くなっても、アップルの路線は堅持され、写真やオーディオなどに関わる人々への影響はそれほどないと思います。ただ、ガレージから二人のスティーブが始めたアップルという会社はエキサイティングであることはたしかですね。

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追悼 スティーブ・ジョブズ あなたはいつも時代の予言者だった

アップルの元CEOであるスティーブ・ジョブズが膵臓癌のため、10月5日に死去したことが今日明らかになりました。アップルのCEOを辞職して約2ヶ月、予期されていたとはいえ、あっという間の急展開でした。

スティーブ・ジョブズは学生時代、インドで瞑想にはまっていたぐらい、ある意味「夢見る人」でした。しかし、ゲーム会社のアタリでノーラン・ブッシュネルの部下として働いた時から、彼は時代の予言者としての能力を発揮し始めたのです。まず、学生時代の仲間である、コンピュータ・ハッカー(いい意味の)であるスティーブ・ウォズニアックが手作りで作ったマイコンである、Apple Iに注目しました。「二人のスティーブ」と呼ばれるジョブズとウォズが出会って最初に始めたのは、国際電話のただかけ装置である「ブルーボックス」でしたが、これは違法行為でした。そのウォズがApple Iをカリフォルニア州クパチーノで、ホームブルー(自家製)コンピュータ・クラブで仲間に譲っていたのを知ったジョブズは、コンピュータこそ、これからのビジネスである、とウォズを説得し、二人で売り歩くことになるのです。会社はウォズの実家のガレージに作り、資金はジョブズが愛車を売ることで、Apple Iを手作りするのです。その過程で知り合ったのが、ずっと年上のマイク・マークラで、彼がパトロンとなって、アップル・コンピュータの経営をすることになったのです。

そこでジョブズは、コンピュータマニアではなく、一般ユーザーにも売れるコンピュータを提案し、ウォズもその案に賛成をして、TVにつないで使うタイプライター型のパーソナル・コンピュータであるApple IIを設計しました。そして、Apple IIは1977年にカリフォルニアで開かれたWCCF(ウエストコースト・コンピュータ・フェア)に展示され、大きな反響を呼びました。WCCFにはコモドールPETやTRS2000などのパソコンもデビューし、いよいよパソコン時代の幕が開けたのでした。ちなみに、後にライバルとなるビル・ゲイツは1975年にニューメキシコ州アルバカーキのMITS社に間借りする形で、親友ポール・アレンとマイクロソフト(当時はMicroSoft)を設立しています。BASICというプログラム言語をMITS社のマイコン・キット上で動作するように改良したのがマイクロソフト創立のきっかけになっています。

さて、Apple IIはVisiCalc(ビジカルク)という表計算ソフトのおかげで、ビジネスマンに使われるようになり、大ヒットしたのです。このようにベストセラーになった応用ソフトを「キラー・アプリ」と言いますが、これによって、アップル・コンピュータは大きく成長し、パーソナル・コンピュータ業界の覇者になりました。そして、なによりもコンピュータと音楽が好きだった「魔法使いウォズ」はApple IIのつぎの機種、Apple IIIを出しましたが、これは初期不良などもあって、あまり売れませんでした。そこで、ジョブズはゼロックスのパロ・アルト研究所(PARC)を見学させてもらい、そこでグラフィカルなインターフェースを持ち、キーボードだけでなくマウスでも操作する、未来のコンピュータの試作品Altoを見せてもらい、天啓を得たのです。これこそ、パーソナル・コンピュータのあるべき姿だ、との信念のもとに、娘の名前をとったLisa(リサ)を開発させるのです。このコンピュータは大きな話題にはなったのですが、あまりに高価すぎました。まったくと言っていいほど売れなかったのです。

そこでジョブズはアップル・コンピュータで独自の小さなパーソナル・コンピュータを開発していたジェフ・ラスキンの「マッキントッシュ」計画を横取りして、換骨奪胎して、Lisaの機能限定版である小型のパソコン、Macintoshを企画するリーダーになりました。ウォズはAppleのときから、コンピュータはオープン規格であるべきとの信念を持っていたため、ジョブズと衝突し、Macintosh計画には入れてもらえず、のちにアップルを去ることになるのです。ウォズのかわりに、アンディー・ハーツフェルドやビル・アトキンソンという「ソフトウエア・ウィザード」たちが基本ソフトであるMac OSやアプリを書いて、1984年に最初のMacintoshが生まれました。このMacintoshは漢字を扱うことができなかったので、キヤノンが日本総代理店になり、漢字を表示できるようにして、販売しました。Macintoshの標語は「computer for the rest of us」、つまり「落ちこぼれのためのコンピュータ」というブラックジョークでした。

Macintosh、とりわけSE30はマイクロソフト社が開発した表計算ソフトであるExcelを搭載したため、大ヒットとなり、日本でもユーザーが増えていきました。しかし、当時のMacintoshはきわめて高価であり、日本では医者か弁護士か、あるいはよほどの金持ちでないと買えないパーソナル・コンピュータでした。これに対して、マイクロソフトに基本ソフト(OS)を依頼したり、ぜんぶ外部委託で作り上げた巨人IBMのThe PCは価格も安く、またキーボード操作であったために、タイプライターに慣れたアメリカではおおいにヒットしました。これに対して、アップル・コンピュータは「ようこそIBM、パーソナル・コンピュータの世界へ」という皮肉の新聞広告を出したり、フットボールの試合に流すCMで、IBMをジョージ・オーウェルの「1984」のビッグ・ブラザーにたとえて、それを救世主の女性がたたきつぶす、というような挑戦的な姿勢を見せました。

アップルがジョブズの意向によって、クローズシステムだったため、Apple IIの手法であるオープン・システムをしっかり研究してきたIBMは、いわゆるサード・パーティーがどんどん参入してきて、ますます売れることになりました。とりわけ、ミッチ・ケイパーの開発した表計算ソフトであるLotus 1-2-3はIBMのハードウエア(Intelのプロセッサ)に直接アクセスする設計になっていたので、高速で、しかも高機能であり、IBMのキラー・アプリとなったのです。

劣勢に立ったジョブズ社長率いるアップル・コンピュータはペプシ・コーラの社長であるジョン・スカリーを雇って、経営の立て直しを図りました。スカリーは業績を上げたのですが、ジョブズと衝突し、役員会でジョブズは解任されてしまいました。自分がスカウトしたスカリーに首にされたわけですが、ジョブズはめげませんでした。しばらくアップル・コンピュータで「島流し」にあった後、退社して、NeXT Computerという会社を設立するのです。これはパーソナル・コンピュータよりも上位機種であるワークステーション(WS)を作る会社で、OSにはUNIXをアレンジしたものを採用しました。NeXTのコンピュータは評価されたのですが、高価だったため、Lisaの二の舞を踏んでしまったのです。しかし、ジョブズはアニメのPixarのCEOとしても大活躍をしたのでした。

一方、アップル・コンピュータはどんどん経営難になり、社長がつぎつぎと交代して、一時はオープン・システムをとったこともありました。しかし、時すでに遅く、起死回生の策として、ジョブズを呼び戻すことにしたのです。アップルに戻ったジョブズは持ち前の企画力をすぐに発揮して、iMacを開発させ、ベストセラーになりました。また、iPodという新しい音楽ツールも開発させて、それがiPhone、iPadとつながって行くのです。メインのパーソナル・コンピュータはNeXTのOSであるNeXtStepを発展させたMac OSXが搭載されることになりました。そして、Mac BookとかMac Book Pro、Mac Bokk Airとアップルはつぎつぎにヒットを飛ばすのです。

ジョブズは癌の診断をされてからも、自分の夢を果たすべく、つねにアップルの顔として、新製品のプレゼンテーションに顔を見せました。それはジョブズがカリスマであり、ジョブズがとてつもないことを考えてくれる、という期待があったからです。スティーブ・ジョブズは夢に生き、夢を実現し、そして人生を全うしたのです。
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9月9日というのは誤報ですよ 
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[C85] ありがとうございました

10/5でしたか。早速、訂正します。ご教示ありがとうございました。

[C86] Apple Computer の行方

Steve Jobs 氏の死によりApple Computer の行方について多々論議されてる。私たち写真に関心のあるものたちにはApple Computerのファンが多い。Steve Jobs 氏の業績はiMac, iPodなど普及品の面で大きいし、われわれに関係のある部分については彼のそうした手腕と関係なく実績をつんできていると思うので心配ないと思うが…。

[C87] Re:Apple Computer の行方

そうですね、ジョブズが亡くなっても、アップルの路線は堅持され、写真やオーディオなどに関わる人々への影響はそれほどないと思います。ただ、ガレージから二人のスティーブが始めたアップルという会社はエキサイティングであることはたしかですね。

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那和秀峻の気まぐれブログへようこそ。エッセイと呼べるほどのものはない駄文、つまり似非を綴っていきます。気が向いたらごらん下さい。

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